翻訳 “ハンドルネームの使用について、Google+におけるプライバシーと責務”

closeこの記事は 5 年 8 ヶ月 23 日 日前に公開したものです。

この記事は、Kee Hinckley氏による次の記事を翻訳したものである。

氏のサイトのライセンスに従い、この翻訳記事はクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植で利用できる。

  • 第1版:2011年9月5日20時21分
  • 第2版:2011年9月6日15時42分
    • 誤訳の修正*01と未訳部分の訳出。

    この翻訳記事には、ところどころに注釈を入れている。注釈は、原文の参照であったり補足情報であったり、訳出の判断であったりするので、その数もかなりのものであるから、読み飛ばした方が良いだろう。

    • 人名は、いわゆる歴史上の人物、及び日本人にも知られている有名人を除き原語のままとした。
    • 訳語では原意を失うと判断した語、あるいは訳出に自信がないものには亀甲括弧〔〕で原文を併記した。
    • 見出しは、改めてh1-h6要素に直した。

    前知識として(今後の議論においても知っておきたいが)、以下のことを押さえておいてほしい。

    • pseudonym
      • 偽名、仮名、筆名、変名、ハンドルネーム(などを使うこと)を指す。
    • anonymity
      • 匿名、すなわち記号としての名が全くない。

    pseudonymに関する訳出は、以下にある注釈を参照してほしい。また、real nameおよびそれに類する語は、本名であったり実名であったりと訳出しているが、pseudonymほど気にかけることもないと判断し、語呂の良し悪しで使い分けている。

    なお、誤字・脱字・誤訳については、直接、私に指摘していただくと有難い。また、後半部分のできが特に悪いので、ご指導願いたい。自分でそこそこに修正・加筆した。


    [本文はそもそもGoogle+に投稿したものである。閲覧は https://plus.google.com/117903011098040166012/posts/asuDWWmaFcq でできる。またGoogle+のアカウントを持っているのであればコメントもできる。]

    Googleは近い将来、ハンドルネームの使用〔pseudonymity〕*02*03についての問題に”取組む”計画だと言っている。願わくば、これらの考えや経験がその決定に及ばんことを。

    匿名の言論〔speech〕に対する保護は、民主主義的言論〔discourse〕にとって不可欠である。反対者の身元隠蔽を認めることは、批判的であったり少数派であったりの意見の表明を自由にする . . . 匿名性〔Anonymity〕は多数派の暴虐から身を守るものである. . . . 偏狭な社会による . . . 報復から一般的ではない個人を守ることを、権利章典、殊その修正第1項は裏付けている。
    ———— 合衆国最高裁判所判決 1995 McIntyre v. Ohio Elections Commission

    このような仮面・ハンドルネーム議論は内輪もめに見えるかもしれない。しかし実際のところ、公における言論はもはや集会の場や新聞、街頭の小冊子だけのものではないのだ。ここインターネットでは、民間企業がホストするこのようなコミュニティで、言論は起こっている。言論〔speech〕の自由はこれらの場において保障されていない。かつて+Lawrence Lessig*04は”規約は法である〔the code is the law.〕”と言った。Googleが適用する規約は、彼らがソフトウェアに現在設定しているルールであり、現在そして未来に対してハッキリと物申すという我々の権利に影響を及ぼしつつある。Googleには、Googleを育て成功に導いた社会に存在する、同様の権利(および義務)をユーザーに与える責務がある。

    私は、ここ数週間に見てきた議論を総括しようと思う。この文章は長い(そのため読まない者もいるであろう)から、この下に項目を書き出しておく。読みたければ、関心のあるセクションへ飛ばすことができる。

    初めに、ハンドルネームとは何の関係もない言及など、話を逸らすものについて取組む。次に、ある企業の製品について我々はこの議論をすべきだ、と何故私が考えているのかについて説明する。それから、個人の痛ましい暴露、 親しい友人の経験やその他の例を通じて、何故人はハンドルネームを使いたがるのかについて説明する。その後、私が耳にした反ハンドルネーム〔againstpseudonyms〕の議論(いくらかはなかなかに論拠がある)について、そして代替手段があるのかについて言及する。

    この投稿の長さについては謝る。編集することもできたのだが。

    話を逸らすもの

    匿名の会話はインターネットに散乱している。

    これは疑いなく正しい。でたらめなメールアドレスでアカウントを作れるサイトや、ユーザ間でやりとりを続けるほどの価値がないサイトに行けば、スパムやただのゴミを散見するだろう。幸運なことに、誰もGoogle+に匿名言論を求めていない。求めているのは実生活や家や個人情報に結びつかない永続的な名、ハンドルネーム〔pseudonyms〕を使えることである。通常の認証プロセス(電話によるSMSメッセージや音声アクティベーションなど)はハンドルネームに適用される。ハンドルネームが不利な状況を生み出す例を挙げる人は、往々にして、Facebook、Twitter、LiveJournal、あるいはGoogle+といったソーシャルネットワークではなく、コメントシステムを引き合いに出す。以下にその違いを述べよう。

    なお、+Shava Nerad女史がG+のコメントで、非常によくこれを表現している。

    世間の人々は2つの概念を混同している。匿名(ある人が一体誰なのかを知らないことである。また、持続した存在ではない。それに、歴史上最も多くの作品を書いたのは名もない人たちである)とハンドルネームを使うこと(ある人が誰なのかは知らないが、ペンネームとして時間を超えて存在する永続的な個性である。マーク・トウェイン、ジョルジュ・サンド、ルイス・キャロル、トマス・ピンチョン、ジョン・ウェイン、あるいはスターリンのように。)だ 。ジョン・ウェインが存在するかを疑う者はいないが、その反面、トマス・ピンチョンの本を読む人はこれが同一著者によるものだとは到底思えない(いや、もしかして、しかし本当は…)。たとえ彼の編集者が、彼(あるいは彼女か?)に会ったことがあるにせよだ。

    ハンドルネームを使われては、ストーカーを捕まえることはできないだろう。

    もし法的告訴があるのであれば、Googleは、少なくともIPアドレスや紐付けされたアカウント、もしかすれば認証に使用した電話番号といった、Googleの持つ情報を添えて召喚令状に答えるだろう。実在する“John Smith”を発信するコンピュータに至るまでの追跡過程は、”Demosthenes”を同じコンピュータに追いつめることとさほど変わらない*05。Googleはあらゆる身元情報を検証していなかったから、ユーザーが”John Smith”に情報を持たせていないように”Demosthenes”にも何ら情報を持たせていない*06

    私の喋りかける全員が本名を使っている、そんなサービスを私は求めている。

    では、クレジットカードまたは公的機関による身分証明書の提出をどの人にも求める、有料サービスが必要だ。だが、私の知る限り、そのようなサービスは存在しないし、誰もそんなものを作るつもりはないだろう(まあ、実際のところ、中国人が作っているのだと私は思っているが、動向を探るための事例を全く把握していない)。名前におかしな文字を入れているアカウント、または他のユーザーが報告したアカウントしか、Googleは凍結していない。Googleは、アカウントを凍結された人々誰一人に対して、写真付きIDの提示を要請せず、国際社会において実行可能な手続きを経なかった*07。なお、早くもシステムから振り落とされた人が新しいアカウントでもって復帰するといった、”もぐらたたき〔whack-a-mole〕”ゲームを止めなければならない、という声がある。 それは良いことだ。願わくばGoogleの認証システムが、または他のアルゴリズムがゲームを止めてほしいものだ。だが、ハンドルネームを禁止することでゲームは止まらないだろう。

    このポリシーはスパムを止めるために必要である。

    前の段落を読んでほしい。身分証明書の要求がなければ、スパマーはただ本物らしい電話と名前を使うだけだ。Googleが電話データ、コンテンツフィルター、ソーシャルグラフ*08分析、ユーザーの苦情といったものをスパマー追跡に利用していると考えているが、ハンドルネームを認めるか認めないかという話はこの問題になんら影響を及ぼさない。悪行は悪行である。たとえ本当の名で為そうが、偽りの名で為そうが。

    何故、このような議論をしているのか?

    Googleは民間企業である。当然、Googleが望むルールでソーシャルネットワークを創造できる。しかし、Googleはプライバシーの重要性を強調してきたし、Googleの社是”邪悪になるな〔Don’t be evil〕”を主張してきた。それにオンラインにおける公の言論に影響を及ぼす、将来性をもった製品を明らかに作ってきた。製品はベータに置かれ、フィードバックを求める。私は、Google+がオンラインにおける言論の、事実上の”行動規範〔law〕”となる可能性があると感じている。また、民主的な社会は常にどう機能しているかを、”行動規範”は反映するものであると考えている。そういったことから、このフィードバックを書いているのだ。収支報告の際、ラリー・ペイジ氏曰く、”Google+の目標は、Webにおける共有を現実世界における共有のようにすることだ”。 (http://www.businessinsider.com/google-confirms-over-10-million-profiles-on-google-2011-7)。現在の態度の通り、Google+のポリシーは目標達成を妨げるものだ。

    ハンドルネームを求めるのは誰か?

    個人について話を進めたいと思う。本当は、私の本名でもって人前では話したくないようなものある。しかし、そんな話をするのは、比較的小さいことではあるが、重要な事態にあるからだ。私には、このようなことを言えない仲の良い友人がいる。彼らは、友人を、近所の人たちを、また子の親権でさえも失うかもしれない。運がいいことに、私は十分なキャリアを積んできた。家族から十分な信頼を得ている。そこで、私がハンドルネームのアカウントと同様に本名のアカウントを持っているいくつかの理由を述べることができる。もしそうすることで、自身のプライバシー保護に重大な理由がある人々を保護することができれば、より大きな価値を、私の、このとるに足らない恥を曝すことで作り出すことができる。あらかじめ謝っておくが、私の子供たちにこのことを聞いてほしくはなかった。すまない。

    イラン

    イランで変革未遂〔the attempted revolution〕が起こった*09。そのとき私の義理の両親がイランにいた。私は、何が起ころうとしているのかを知っていた。情勢に関心のある人々に、オンラインで共有したいと思った。何が起こりつつあるのか、私は彼らに情報を与えた。だが、私の本名ではできなかった。何故ならイラン政府は、イランに関するTwitterの投稿を積極的に捜し出していたし、政府にとって、私と、妻とその親戚を結びつけることは簡単にできることだったからだ。

    結婚生活

    結婚は破綻しかけていた。大酒を飲み、長椅子の上で眠り、 自分のコンサルティング事業に集中していなかった。初めはTwitterでこのことどもを話し、助言や支持をしてくれる、同じような境遇の人たちに会い始めた。そんなときに、私の子供がTwitterのアカウントを取得した。私は別のアカウントを作った。そうすれば家族に、もちろん私の顧客にもバレずに、また困らせることなく、そういった話ができた。こういったハンドルネームでのやり取りは、新しい友人との繋がりや、個人秘書の雇用、家探し、引っ越し、職探しといったことや、私の現場復帰にきわめて重要な役割を持った。実在する友達を作った。その多くはオフラインで会ったことがある。ハンドルネームのアカウントでも、今では彼らの本当の名でわかる。彼らとともに元の生活に戻るには、ハンドルネームが不可欠であった。

    10代の子

    私には10代の娘が2人いる。10代の子を持ったときに出てくる問題について、何度か(特に妻と離れて〔separated〕からは、そして子供たちの寄宿学校が休みになったとき)人に話したかった。オンラインで公に、問題を(名を言わずに。当然、ハンドルネームの立場である。)投稿することで多数の支持を得られ、似たような作り話を生み出せた。私は定期的に、子育ての良いこと悪いことを、付き合ってくれる他人と共有している。私がその人の名前を知っているかって?いいや。知るべきか?違うな。もし、仲間内だけに*10投稿したら、あんな支持を目の当たりにできただろうか?ありえない。

    アルツハイマー病

    父はアルツハイマー病を患っている。それも、酷く悪化しており、偏執的になってきた。私の母は、父を風呂にいれ、寝室まで連れて行かなければならない。母とおばは、父の介護をしている。本当に力強い。私が手伝いにいったときは骨が折れたというのに。ありがたいことに、あらゆる出来事を、私のストレスを公然と話すことができる。そして、話をすれば、支持を得られるだけでなく、同じような境遇の人たちを見つけることができる。また、互いに意見しあい、支持しあえる。本名ではやっていない。父や母やおば、そして私自身の個人情報をインターネットに書き出したくないからだ。だから、ハンドルネームでやっている。それに当然のことながら、私に返信してくれた大半の人は自分のハンドルネームでやっている。アルツハイマー病についての話を、Google+で公然とすべきではなかったか?まったく議論にもならない話であふれているが、人は本名を知る上司や隣人、あるいは見知らぬ人抜きでそういう話をしたいのだ。

    では、友人2人について話そう。(明白な理由で、詳細を書き変えている。)

    知られすぎている

    彼は故郷の州では二流有名人だ。彼の顔はTVではよく知られている。彼は、オンラインではBDSM*11コミュニティに参加している。従順な性癖を持っているのだ。そんな彼は、サイトにいる人に向けて、「これは趣味なんかではなく私の日常だ。子育てであれ、失業対策であれ、あるいは健康についてであれ、そういった話をしに性的フェチサイトに行くな」と話をする。彼は、コミュニティの友人とオンラインでおおっぴらにそういった話をできたら良いと思っているが、彼自身有名であるが故に、本名で、あるいは自分の顔を出してではできないし、近くの集まりで直接話せるわけでもない。 オンラインであるべきだ。ハンドルネームである 必要がある

    悪い男と付き合う

    彼女の上司は完全な人間嫌いで、黒人をひどく嫌っている。明けても暮れても罵っている。彼女が黒人のボーイフレンドと同棲していることを、上司は知らない。彼女はここ数ヶ月新しい仕事を探しているが、今の仕事しかない状態だ。友人ボーイフレンドと、政治についてであったり、最新技術のおもちゃについてであったり、趣味であったりを、オンラインで公に話ができる場所が、彼女にはあるのだろうか?

    以下の一覧は、+Shava Nerad女史による良例である。公の場でちょっとした秘密を持つ我々のような平凡な人々の需要を、彼女は完璧に言い表している。*12

    法律家

    これは、小さな町の法律家の例。彼は地方政治についてのブログを書き続けたいと思っている。本業の顧客が離れてしまうとしてもだ。

    教師

    ある教師。たとえ町を超えて、中学校で指導することになっても、週末にはギターを速く弾きたいと思っている。*13

    虐待から逃れた人

    幼い頃に家庭内で性的虐待を受けたことを、ブログで明かしたい中年。しかも、虐待をした家族は健在で、同じ町に住んでいるのに。

    テキサスの地方検事*14*15

    テキサスの検事。彼は自分のアニメコレクションについて話し合いたいがために、そしてバハマにおける同性愛者に関する報告書を調査したいがために、ハンドルネームを使いたがっている。

    アラブの春

    ある女性。彼女は、夫や従兄弟がシリアで起こったアラブの春の騒動でどのような活動をしたのかを、ブログに書きたがっている。そして、自分や母、姉妹が、彼らのいない間家でどう過ごしているのかも。

    ナルコティックス・アノニマス*16

    NAの会合にオンラインで参加しようとする男性。ナルコティックス・アノニマスの会合に入れば一目で誰だか分かるほどに、コミュニティでは名が知られすぎているため、そして、復帰中に支援者や友人と会えるような、オンラインにおける同一性が欲しいから。

    労働組合の組織者

    ニューヨーク州北部にある企業町に住む女性。子供たちが遊び場でいじめられずに、労働組合を組織しようとしている。

    +Cory Albrecht氏がここに、そういう類いの話をしている人の、実際の例を教えてくれた。彼らは恐らくGoogle+で、自身のキャリアあるいは日常はこうして幕を閉じたという話をしていると思う。

    レイプ被害者

    自身のプライバシーを真に守るために、一体誰であるかを人に知られずに、体験を語りたいというレイプ被害者。http://mg.co.za/article/2011-02-07-anonymity-a-rape-survivors-right/

    身を潜める10代

    高校にいる同性愛嫌いのいじめっ子に見つからずに、自殺に追い込まれないように、支持者や友人と出会えるオンラインの同性愛者コミュニティに参加したい、同性愛を隠している10代の男子。http://www.nowpublic.com/world/seth-walsh-13-yr-old-commits-suicide-after-bullying-video-2685728.html

    無神論者の教師

    たまたま無神論者であるだけで、上司に見つかれば解雇されるかもしれない教師〔employee〕。http://mattcbr.wordpress.com/2009/02/06/teacher-fired-for-being-an-atheist/

    政党の違い

    上司が共和党員で、自分が民主党員であったがために解雇される。http://www.missourinet.com/2011/04/19/former-city-prosecutor-says-he-was-fired-for-being-a-democrat/ 逆も然り。http://www.nbcdfw.com/news/politics/Dallas-Co-Prosecutor-Believes-He-Was-Fired-for-Being-a-Republican-107007433.html

    最後に、私の個人的な友人やオンラインの人たちから。

    同性愛者・両性愛者・トランスジェンダー〔LGBT〕

    彼はゲイ…彼はバイセクシャル…彼女は男だった…彼は女の子だった…彼は未だにゲイを隠しているし、自分以外のゲイを知らない。彼らはについて話せる場所を探していない。そういう人は数多くいる。彼らは、政治やテクノロジー、社会や世界情勢はもちろん、自分以外のことについて話せる場所を探している…彼らは、自分ではない誰かを演じてではなく、ありのままの自分でやりたいだけなのだ。

    虐待を受けた配偶者

    彼は毎日夜に帰ってくる。そして、彼女がオンラインで、彼女の名前で何かを投稿していないかを検索している。彼女は無職で、守るべき子供がいる。彼女が見捨てるのなら、追いかけて殺すと彼は脅している。(この件について詳しく知りたい方は、これを読んでほしい。http://pervocracy.blogspot.com/2011/07/why-does-she-stay-with-that-jerk.html*17

    ストーカーに遭った科学ブロガー

    科学ブロガー、Bug Girl’s自身の言葉(http://membracid.wordpress.com/2011/07/24/why-google-hates-women/)。以下、引用。

    “世界を支配する、ある大企業が求めているというだけで、私は、自分を曝そう〔choose to out myself〕とはしない。少なくとも1997年からオンラインでBug Girlとして、2005年からはブロガーとしてやってきた。初めはハンドルネームでやっていた。その理由は、90年代に白人至上主義者グループの標的にされていたことと、ストーキングの経験があったからだ。”

    “私は、持病(私はてんかん持ちだ)についても、レイプ被害者の立場としても気兼ねなく話したいだけだ。私は、こういった秘密を、私の教え子や雇用主、母親にGoogleで知られてほしくない。”

    “Facebookの実名ポリシーは性差別的で、偏見的で、愚かしいものだ。Googleのポリシーはそれ以上に酷い。なぜならば、Googleは、Facebookのポリシーがいかに悪い物であるのかを知っているのにも関わらず、意地でも手に掛け実装したのである。

    平凡な活動家

    そして最後に、オンラインでの一義的な活動と、それを堕としめすであろう副次的な物とを一緒くたにしたくない、純粋な願いがある。+Lauren Weinstein氏が優れた記事を書いている。”Google+とプライバシー、アイデンティティの均衡について〔Google+, Privacy, and Balancing Identity〕”(http://lauren.vortex.com/archive/000882.html

    “Google+を使い始めて早くも3週間が経とうとしている。私は、有益な情報を教えられたであろうスレッドに、コメントの投稿を控えたことが何度かあった。理由は、話の最中にそれに関連する、私の話に公然と視線が集まるのを、快く思わなかったからだ。99%は、私の投稿で身元がバレてしまっても問題ないと思ったが、それでも1%はひどく気にしてしまう。このような妥当な状況における詐欺やその他悪意の伴わない自己検閲は、ある状況において”正体〔true identity〕”が明らかになかもしれないという、ものによっては馬鹿げた影響となる点で危険信号となるに違いない。”

    ハンドルネーム〔Against Pseudonyms〕の議論とは何か?

    +Robert Scoble氏の文を引用させてもらったことに、まずは詫びよう。数多くの、異なる情報源に倣おうとしたが、ある一連のコメントでRobert氏が都合良く、同様な議論の多くをすでにしていた上に、誰かがコメントに成り行きで発言したものよりは有名人の発言を使う方が良いと考えた。

    以下には特に順序はない。

    人は実際には隠す必要はない

    私は、はじめの方に挙げた一連の例でこの議論を終わらせたかったが、結局のところ、あるプライバシーを保持したいと望む人を除いては関係ない話だ。これは隠すことに関係しない。見知らぬ人が私の戸口や名前にアクセスできるようにする、プライバシーや、プライバシーの手がかりになるものを制御することに関係するのだ。

    都合の悪い場合に、はじめてハンドルネームを必要とする

    マーク・ザッカーバーグの有名な言葉に“2つのアイデンティティを持つことは誠実さの欠けている一例だ。”というものがある。(まあ、彼が有名である理由はこれだけではないがね。)一度も誰かのために働いたことがなく、子供のいない人が言うことだ。彼はこうも言う、“仕事仲間であったり同僚であったり、あるいはあなたが知っている誰かであったりに対して、異なるイメージを持つ日々は、おそらく、すぐに終わるだろう。”http://michaelzimmer.org/2010/05/14/facebooks-zuckerberg-having-two-identities-for-yourself-is-an-example-of-a-lack-of-integrity/

    Facebookがこれを実現しようと最善を尽くしていることは非常に明白であるが、人々が実現してほしいと思っているかは判然としない。だが、これを更に取り入れる人もいる。例えば、+James Stallings II氏がGoogle+で次のようにコメントで言っている。

    “こうも私は考えている。陰に隠れるためにハンドルネーム〔nym〕を使う、それは正に隠れることそのものだと。事態が芳しくないのであれば隠れなければならないし、インターネットにあまり時間を費やすべきではない。そもそも何故隠れないといけないかを、深く考えることに時間を費やすべきだ。ろくでもない会社に居続けている?できない約束をした?Noと言えば問題になる?厳密に言えば、女性において、物理的な暴力でもって脅されているだとか、外見のせいでセクハラに直面しているだとか、そういった問題と同程度のものしかそこには存在しない。”

    残念なことに、この姿勢は珍しいものではなく、”blame the victim”という名称*18さえある。自分の問題はすべて自分自身が引き起こしたものだ、と考える人もいる。家柄、出生地、経歴、アメリカ南部で10代の同性愛者と関係を持っている*19だとか、中西部で異常性欲者〔kinky*20〕と関係を持っている*21だとか、政府の迫害を逃れてやってきたビルマ人〔Burmese〕と関係を持っている*22だとか、そういった個人的な体験、あるいは、アルコール依存症の隣人。そういった対象から自分の個人的な成功や安全までを、どうやって非難することができるのか。正直なところ私は知らないが、やる人はやるのだ。

    ハンドルネームが使えるフォーラムにおける議論は、礼儀に欠ける

    これには幾分か真実がある。荒らす〔troll〕ため、台無しにするため、ハンドルネームを使う人もいるだろう。ハンドルネームを排除することで、おそらくはこのような事態を軽減できるだろう。この言及には、しかし、少しばかり問題がある。

    1. “本当の”名で荒らす〔troll〕人もいるのだ。そのため、ハンドルネームであろうとなかろうと、サービス側が悪用者を対処する機能を用意しなければならない。Google+では既にこの類いが用意されており、コメントを見ないようにブロック(実際には”ミュート”)したり、自分の投稿にコメントできないようにしたりできる。自分の投稿を管理することができる。ハンドルネームを許容する人が増えてきた場合の対処として、これらツールは十分すぎるものだと思う。*23そのうちGoogleは、ハンドルネームを認めるかどうかを決める、追加ツールを用意する必要があるだろう。

    2. Googleは虚偽のアカウントを防止するための機能を提供していない。虚偽のアカウントをレポートする機能や、事後に認証する機能*24を用意している。もし誰かがJohn Williamsとして登録し、コメントで激論〔flame fights〕を交わし始めたとしても、それがなりすましアカウントであると気付かれるまではしばらく時間がかかるだろう。やはり、管理ツールは必要だ。

    3. 長らくハンドルネームでいた人と荒らし〔trollers〕は全く違う存在だ。彼らにはたくさんの友人がいるし、Googleで見つけることができるし、オンラインに数多く投稿している。140字のつぶやきの集まりであるTwitterも、フォロワーのリストをちょっと見るのも、誰かの発言動向〔tweet stream〕をちらっと見るのも非常に簡単だ。スパマーであるとか嫌な奴であるとか、もしくは本当に付き合いのいい人なのかが簡単に分かる。名前は全く無関係なものである。立ち振舞いや中身こそ全てなのだ。

    4. ハンドルネームを使い続けている人は、評価によって生死を左右される*25。もし評価を失えば、発信力〔voice〕を失うのだ。自分の仕事で、あるいは有名だから、または、面白い企画に携わっているから、フォロワーを得ようとしていない。何を言っているのかこそが全てなのだ。事実、彼らはより敬意ある対話をし続ける傾向にある。特に、クリックだけでは行けない閉鎖的なフォーラムでは*26

    よく起こる議論として、あるサービスにおけるハンドルネームの失敗例を取り上げる。しかし、そのような比較は往々にして無意味なものだ*27。例えば、コメントシステム*28がFacebookのものに変更される以前のTechCrunch、YouTube、MySpace、その他新聞サイトのコメントシステム、などである。これらのサイトには、登録するための認証が全くない。偽のメールアドレスを入力し、アカウントを使い始めるなんて些細なことなのだ。また、こういうサイトでは、友人同士のソーシャルネットワークを作るために、なんら便益を供与してもいない。そして、利用者を簡単にブロックする手段も用意していない。一方で、FlickrやLiveJournal、Twitterなど、ハンドルネーム利用者や”本当の”名前を名乗っている利用者を数多く抱えるソーシャルネットワークサイトは、発達した言論〔civil discourse〕を、非常に活発なコミュニティを抱えている。これらサイトは”実名”もハンドルネームもある活発なユーザーコミュニティを持つことができるのに、何故Google+はできないのか?

    インターネットで使うハンドルネームを、私は持っている。その名前でブログがあるし、Flickrの有料アカウントもあるし、YouTubeのアカウントもある。Twitterには1,000人を超えるフォロワーがいて4,000を超えるつぶやき(およそ1,000ページも書いたことになる)もある。独自のドメイン名もあって、3年で50,000回もGoogleで参照された(この名前でやっているものの2倍だ)。何故ハンドルネームのアカウントを使うのか?そのアカウントは、ロケーションを表示せず他の情報へのリンクも載せず、ネット上の他の人との繋がりを示しもしない”John Smith”*29という名の輩よりも説明責任が軽減されるのか?私の仮面は評価によってのみ存在を左右される。”John Smith”は、Googleに自動車免許を提示できるし、万人に対して匿名の嫌な奴であり続けられるから、ただ乗りする。本当に筋が通ってるのか?それにだ、仮に私の仮面がここに存在しても良いという権利を認めたとしても、「Google+は、どこそこで既に繋がりを得た人たちだけのネットワークである、ソーシャルネットワークの”同窓会〔old boys’ club〕”である」とでも我々は言うのだろうか?我々は人と話す際に、事前にパスポートを要求することはない。+Sai .氏はこのように言う、“君は今まで身元証明書を見せて、と初めに言わずに誰かと寝たことがあるのかい?”。もしそんなことをするにしても、なんでオンラインで話をするために身元証明書を要求しないと行けないのだろうか?

    他所でやれ

    これに対する私の、初めの回答は単純なものである。私の友人が行くところに私は行く、というのはソーシャルネットワークの要点ではないのか?FacebookやGoogleを騙して、ハンドルネームを本名だと思い込ませようと楽しむ人はいない。もし友人や同僚がいたら、現実に選択肢はなくなる。だが、私はこの言及は次のような迷信と結びついている、とも考えている。すなわち、プライバシーの懸念を持つ人たちはある点のためだけにハンドルネームを名乗って過ごしているのだと、その上、そうでなければ自分ではない何かを装っているのだというものだ。あなたは誰か、で、あなたの意見が変化する。ゲイであること、女性であること*30はハンドルネームについての意見に非常に影響しやすい。そういうことについてあなたは秘密にすべき、というのは、この争点について議論することを認めない、ということなのだろうか?ゲイ、性転換をした人、異常性欲者〔kinky〕、共産主義者、女性。自分がこのような人であることは、あなた専用のゲットーで議論をしに行くべきということを意味しない。それは全くもってエリート主義的な見方だ。 それにも関わらず、+Robert Scoble氏の発言は正に、私に衝撃を与えた。

    “インターネットには、政治的、人種差別的、その他意見を議論するための、フォーラムなど数多くある。Googleは実名や現実のアイデンティティを強要することで、よりよい議論への方向性を悪くしたいんだ、という中傷を見たことはない。おそらくGoogle+は、女性であることや、レイプや家庭内暴力を議論する場所ではないのだ。匿名で’いられる’*31Quoraのような場所であれば、このような議論をする場所として、より安全でいいところだ。”

    (Quoraは次の場合匿名を選択できる。 a) ある場合は自分の身元を隠す必要がある、b) 永続的なアイデンティティがない。QuoraはQ&Aサイトであるが、ソーシャルネットワークを目的とするところではない。)Google+はテクノロジーやビジネスの議論に非常に良いところだと思う人もいるだろうが、そう思う彼らは“政治的、人種差別的、その他意見”のような、不快にさせるものを求めてはいない。 もしかしたら、私が間違っているのかもしれないが、私はGoogleがもう一つのLinkedInを作ろうとしているとは思っていない。

    “他所でやれ”の言及に関する反応として、+Jillian C. York女史がアラブの春に参加する人々のジレンマについて書いている。

    “”どこそこに行”けるという、この言及について気になったのは、Facebookの場合、彼ら*32はどこそこに行けなかったし効果的になれなかったということだ。Facebookは今も昔もネットワークがある。活動家として効果的に動きたいのであれば、既存のネットワークを対象にしなければならない。私は、Google+も同じような役割を担うのだろうと、すぐさま想像した。”

    話を要約しよう。プライバシーを大切にする人は表面的ではない。彼らは生活している、働いている、家族や友人がいる、そしてプライバシーを手放さなくてもいい場所でこういったことについて話をするのが好きだ。世間の注目を集める必要があると感じたものがあれば、特定の目的のためのゲットーでは話はできない。みんなと同じように、同じ一般的なフォーラムで、話をする必要がある。

    本名らしい名前を使え

    これはハンドルネームにおける”聞かざる・言わざる〔Don’t Ask, Don’t Tell〕”*33モデルである。本名ではないと表明してはならない、そうすれば万事良好となる。これは、言い換えると”嘘〔Lie〕”である。反対するのはハンドルネームを使うことではなく、本名らしい(と考えられる)名前ではないものであるから、大丈夫だと思う人も実際にいる。

    +Jillian C. York女史が、これがどうやって活動家をつまずかせるのかという良例を提示している。活動家だけではなく、政治や性についてであったり、あるいは、犬についてあれやこれや話す人にいらだちを覚えることのある人にも当てはまることだ。

    “エジプトに目を向けてみよう。Facebookを使うと決めた活動家にとって、Facebookがいかに重要なものであったかを、我々は知っている(全員にいえることではない。Facebookなしでは起こらなかったかもしれないという一つの言及である。揚げ足を取りませんように。)。それなのに、ワエル・ゴニム氏*34のページ(ご存知、何千人もの支持者がいる”われわれはみなハーリド・サイードだ〔We Are All Khaled Said〕”*35)は昨年の秋にサイトから削除された。理由は、彼がサイトでハンドルネームを使っていたから。ハンドルネームは本名のようなものであったが、彼には敵対者が何人かいたせいかこのことを通報され、結果削除されたのだ。それから、Facebookが要求した、身分証によるアイデンティティの証明ができなかったことで、排除されたのだ!そして跡形もなく消えたのである。”

    “今まで幾度と見てきた情況のひとつだ。独裁国家における活動家は、活動を通報され、また、たまたま名前が偽物であったことで、サイトから追い出される。その間、その他多くの人たちは、敵対者がいないから難を逃れるのである。

    実生活では、本名であれ。

    本名を”使うこと”と、(イングランドの不運な銀行強盗のような)額に名前の刺青があることとには違いがある。実際、実生活においては名前を使う時を選ぶことができる。あなたのスタイリストは、おそらく下の名前〔first name〕だけを知っているだろう。あなたの同僚は実際のところ名字で知っているかもしれない。とはいえ、彼らはもしかしたら、あなたのフルネームを知ることができるのではないだろうか。セブンイレブンのレジの後ろにいる女の子はどうだろうか?彼女の知っていることは、あなたがぶどう味のスラーピー*36が好きだということだけ。実生活においては、会う人会う人全員に対して名前を教えることはない。自分を見たという人に対してにも、もちろんそうだ。本名を伝えなければならない人というのは法的強制力のある人だけであり、ここでは誰も名前の変更を提案しない。更には、本名を全く使わないという、実生活の世相がある。変名*37を使うことが一般的な流儀である社交クラブや社交界がある。AA*38や同じような会合の場では誰もフルネームを使わない。人生相談のコラムに手紙を書く際に、フルネームを使わない。我が国の建国者たちが『ザ・フェデラリスト』となった文を書くにあたって、彼らは確かに本名を使わなかった*39。慈善家が金銭を寄付する場合、たいてい本名を使わない。事実、裕福で有名な人は人目を避けるために変名を使うことがよくある。彼らは実生活で変名を使うだけの余裕がある。我々は、オンラインにおける保護を得る、それだけである。

    もうひとつ大きな違いがある。多くの人にとって(私は例外である。なぜなら私の名前は世界的にみて珍しいからだ。)実生活で名を誰かに告げることでは、すなわちあなたが書いてきたもの全てに繋がらない。確かに、告げられた側はGoogleで検索することができるし、その名の人を見つけるかもしれない。だが、それはまだ努めて見つけようとした範疇にある。Google+のようなサイトでは、クリック1回するだけだ。従って、Googleの実名ポリシーは実生活におけるものとは全く違うものだ。ましてや内輪向け〔private〕のものでもない。

    ハンドルネームを使っている人は現実には存在しない。

    ハンドルネームを使う人と交流するために実名を使わなければならないのか、と正直困惑している人もいるようだ。ひょっとすれば、私は長らくオンラインで人と付き合ってきた(私のオンライン初の女友達は1978年にできた。)からなのかもしれないが、 そんな人は見たことがない。”私の他のID〔MYOTHERIDHERE〕”よりも”Kee Hinckley*40”にまつわることが真実であると証明するものがない。どちらもGoogleで検索できる。どちらも(ほとんど重複なく)私の生活について伝えるだろう。どちらも私の会話の様子を見せてくれる。どちらの名でもFlickrの有料アカウントで使用していた。どちらの名も、オンラインでもオフラインでも様々な繋がりにあった。どちらの名でもブログをやっている。私は、オフラインの社交の場でどちらの名も使っている。裁判所の召喚令状があればこの記事を書いているラップトップまで、私の2つの名を追いかけることになるだろう。実際のところ、財務記録や公的記録〔government records〕でなければ、私のハンドルネーム以上に”Kee Hinckley”を真実たらしめるものはない。最近のiPhoneの噂を予想しているときに、誰かが私の出生証明書や財務記録に関心を寄せているのだろうとは全く考えもしない。ハンドルネームが好きではない人は、ハンドルネームを使う人たちが何らかの嘘をついていると感じるから、彼らを好きではないようだ。もし私のハンドルネームが”John Smith”であったのなら、好きになってくれるのだろうか。それはない。*41 私は世間的に珍しい名を選んだ。なぜなら、明白でありたかったから、長く使いたかったから、明らかに出生証明書にはない名を使いたかったから。私はあなたに嘘をついているのではない。私は、あなたに生来の名を告げない、ということを選択している。あなたは我々に会った時、自分の社会保障番号を教えない。だが、これは嘘ではない。私の子供たちの名前や私の住所に繋がるような、重要な単語を、私は教えることはない。なぜなら、それに辿り着けば、”本当の”名がオンラインにあるのだとわかるからだ。人には知られていない、全てへの手掛かりだからだ。*42

    これが、何故ザッカーバーグが間違っているかという理由である。我々は2つのアイデンティティから離れていない。我々は2つのアイデンティティに近づいている個人情報の世界的なデータベースは、プライバシーを維持するためにもハンドルネームを使うように強制している。

    もしその名で本当に通っているのなら、そのことを証明すればいいのでは?

    これは”豊かで有名〔rich and famous〕”条項のことだろう。 50セントやレディー・ガガはハンドルネームを得られるが(彼女の親しい友人は”レディー”と呼ぶのだろうか、はたまた”ガガ”と呼ぶのだろうか?)、あなたも私も得られない。Google曰く、”一般的に〔commonly〕”その名で知られているのであれば、その名を名乗ることができる、と。それはつまり、Googleの従業員がLiveJournalで、友人に対して「私のことをずっと”Ping”と呼ぶように」という宣誓を求める、なんていう馬鹿げた風景を見られるということだ*43。さて、まさに”一般的に知られている〔commonly known〕”というものは何なのか?私は通常”Kee”として幾人かの友人に知られているがTwitter上の数千人と言う人々、もちろん私のブログや投稿写真を見た人全員もだが、私のことを別の名で知っているのである。もしこれが30年前に起こったことであれば、友人の多くは私をオンラインでもオフラインでも”nazgul”だと知っていた。そういう訳で、私はオンラインでのやり取りではこのように署名している。私のハンドルネームでGoogle検索をしたら、50,000もの結果が得られる。私のこの名*44では25,000だ。”Kee”は一般的に知られている名ではないということなのだろうか?”The Bloggess*45”はその名前で、オンラインではよく知られている。”The Bloggess”は彼女の一般的な名であろうか?このポリシーに十分適格するほどに有名となる要件は何か?私が適格であるかを、自分で調べられるのだろうか?この国にいる何百万もの人々が、運転免許証にない名前で通っている。自分の本名を弄ったものもあるし、そうでないのもある。彼らはどうやって証明するのか?誰がニックネームが本当であるときを、偽物であるときを判断するのか?Google+担当の副社長は、Google+で本名を使っていない*46。私は、この件についてハッキリとするべきたと考えている。Googleは本当に、ユーザーごとに手間も金も掛けたいのだろうか?

    それから、文化的な問題もある。インド*47やタイ*48では(他もあると思うが)、人々は生来の名ではなく、ニックネームで通っている。その名は出生証明書に記載がないし、間違いないと証明する方法はない。我々がこれまで見てきたように、Googleはそういう人たちに対して名を証明するものを要求している。Googleは“1 つの言語でフルネーム(氏名)を使用する。フルネームを使用すると、他のユーザーに自分をオンラインで見つけてもらって、適切なユーザーと交流することができます。*49と言う〔states〕が、明らかに誤ったものだ。私が彼らを別の名で知っているかどうか、繰り返し聞かねばならないことだとわかる。何故ならば、Google+に参加する際、オンラインで長く使い続けたアイデンティティを彼らは放棄せねばならないからだ。

    ハンドルネームやマルチアカウントの件以外でさえ、Googleは名前を持つということを極めて西洋中心的〔Western-centric〕なモデルとして作り出した。明らかにGoogleが訂正しなければならないのは、このポリシーが想定する人とは、名前を持つこと使うことについてなんら経験のない人々のことで、ましてや名前を曝け出すことに心配を覚える人などは想定していない、ということだ。私は訂正すべきだと思うが、私にしてみれば、これが事実を暗示している。ユーザーがこのゲームをするかどうか*50、Googleは社会学者や人類学者に真面目に助言を求めなければならない。

    危険である。

    私が提示した多くの例は、何故ハンドルネームを使いたい人もいるのかについて、個人の危機も含んでいる。それらには、少なくとも困惑させるおそれのあるものを含んでいる。この言及は、インターネットにはプライベートなものはないというもので、それ故、誰かに知られたくないようなものは共有すべきではないとしている。彼らは、これは”隠蔽によるセキュリティ〔security by obscurity〕*51”であると断言する。+Robert Scoble氏がコメントでこの言及をしている。

    “もしあなたが中国人で、政府の影響を避けたいのなら、インターネットでは自分の意見を控えるようにとアドバイスすべきだ。以上。”

    分かりきったことだが、みんな政府の迫害を避けたいのだ。しかし、リスクを冒すことに価値があると考える人もいる。その人たちに、隠れろだとか沈黙に耐えろと言っても、何の助けにもならない。それに、”隠蔽によるセキュリティ〔security by obscurity〕”と呼ばれるものが簡単な常識であれ、私たちはどの子にも、知らない人に自分の名前や住所を教えてはいけないという。私たちが大人である場合、何故そういうことが悪いアドバイスになるのか?

    ハンドルネームが100%安全ではないのは正しい。Googleが安全に扱う方法を教育する手だては大いにあった。だが、匿名の人が+Violet Blue氏に宛てた文はこうだ。

    “ハンドルネームを使うことが保護の手段としてはあまり十分ではないが、少なくとも断固とした報復を除くすべてを防いでくれる。私は、いったいどれだけの人が、懸念によって明確な態度を取らなかったのかと思う。どれだけの人が本名を曝すことで、失業から死といった範囲の報復の影響を受けたのだろう?気にもとめずにリスクを冒す人がいると分かっているが、私はその人たちを称賛する。だが、家族や友人をも対象にしてしまうようなリスクはどうだろうか?”

    彼の罪?殴られて気絶したことや、レイプされたこと、その上”連中は、彼氏とちょっとしたけんかをしたゲイ〔fag〕に気遣いできないんだよ”と言った警察に相手にされなかったことを、以前彼はクラスに話した*52*53。公に曝露した結果、クラスのある生徒が10年間もストーカーをしていた。彼を自殺に追いやろうとして。ストーカーのせいで、インターネットにおける公然な生活から身を引こうと、あなたは思うのだろうか?それどころか、どんなに安全になれないとも、彼はハンドルネームを使おうとするのだろうか?

    Facebookを少し見れば、”プライベートにしたければインターネットを使うな〔don’t used〕*54”と好きなだけ言える理由がわかるだろう。だが、人々は己の名においてそういうことを共有し続けるだろう。ハンドルネームを使う人々は、その多くが、危険を理解し、表明のため最初の一歩を踏み出したことがあるのだ。まず、そういう人たちの多くがあまり気に掛けていないということを、私は認めよう。私は何年もの間インターネットのセキュリティ分野で働いたことがある。関連する問題を承知している。しかし、それ故に認めてはならないという言及は、愚かだ。そもそも、認めない手段がない。Googleには入り口の段階で全員の身分証を確認するという意思がない。次に、セキュリティがいかに弱かろうと、コミュニケーションがとれる唯一の手段としてハンドルネームを使おうとする人がいる。安全には使えないという理由でハンドルネームを禁止すべきだという主張は、「性教育を禁止すべきだ。でなければ、子供が性行為をしてしまう。」と主張するようなものだ。彼らはいずれやるのだ。せめて支障なくやる方法を説明しようじゃないか。大人から子供を守るのではなく、大人を守ることについて話すという場合は除く。 正しい解決方法とは選択を限定しないことであり、教育を提供することだ。

    この言及における他の問題は、白か黒かはっきりすることだ。すべてのリスクは同じだと思い込む節がある。私の子供に見られることなく、友達と楽しむというセキュリティのレベルと、リビアから情報を密かに持ち出すというセキュリティのレベルはかけ離れている。しかしひとつ禁止したら、すべて禁止することになる。

    プライバシーとは保険と保障のようなものだ。あればあるほど、やがてはお金も不都合も大きく背負うこととなる。 セキュアなコンピュータにはそんなことはないが、進んでセキュアにしようとしたコンピュータには起こりうる。プライバシーにおいてもそうだ。

    ハンドルネームを使うとオフラインで誰かとあった際に失敗する。

    ハンドルネームを持っている誰かに実際に会えるということをRobert氏が認めるのは良い傾向だ。だが、この言及はインチキである。

    “初めて+Thomas Hawk氏に会う際、彼は本名(Andrew Peterson)を私に教えた。それから、秘密が漏れた(私がする前に誰かが少し漏らしていたが)。誰が真にオンラインを匿名にできるのだろうか、’そして’オンラインであった他人と本物の関係を気付けるのだろうか?無論、できないのだ。”

    Thomas Hawk氏が本名につきRobert氏を信頼したのは事実だ。Robert氏が曝露したのは、誰かに会えないとか本名を使っていないとかを意味しない。私はいつも信頼するし、私の知る人たちもそうだ。プライバシーに関することは何でもそうだが、誰かをどれだけ信頼するかを判断せねばならない。これはその人に会った時に変化するものではない。Thomas Hawk氏が”やあ、Thomasという名前で通ってるよ*55”とか”やあ、君に名前を教えるつもりはないよ”というのは構わないことだ。

    もし重大なことを言いたいのであれば、メディアに訴えろ。メディアは何をしているのかを知っているのだから。

    これは”非常に危険だ*56”というものからの当然の帰結である。+Robert Scoble氏曰く、

    “匿名の内部告発者にとって、(情報源を守るため、例として)[彼がブロガーのハンドルネームを曝露した2番目の人である、と認めた直後]だと聞いてもらう方法はたくさんあるし、内部告発者の不正を聞いてもらう手段も多くある。…例えば私が、旅行の際に、誰にも見られずに3テラバイトのハードドライブを持ち運んだとすれば、情報源を脅かすことなく内部の人たちから山のような情報を運び出し投稿することができるだろう。”

    私はRobert氏に、中国の不正に関して抗議する人たちのパイプ役として働いてはどうかとコメントした。その人たちが匿名でもって彼に連絡するかはわからないがね。だが、真面目にやろう。これは尊大でエリート主義の極みだ。この世界には人が通報する以上に遥かに多い不正がある。私がこの全体の議論で聞いたような、パターナリズムの最も愚かしい一介である通報人をたまたま知ることとならない限り、沈黙や”安全”を守るべきだと抑圧された人々に勧めよう。

    抑圧された人々はインターネットにアクセスする手段がない。

    いや、本当に、私は複数の情報源からこんな言及を聞いている。抑圧された人々がインターネットにアクセスする術を持っているなんて神話だ、という主張だ。+Robert Scoble氏曰く、

    “はあ、Googleがブロックされているような、人間の権利に対して風当たりの強い地域やら、名前でなく、偽物か本物かでもなく、IPアドレスが追跡されるような地域やらねぇ。あなたの言いたいことは本当だと思えないがね。”

    この主張はグリーン革命*57やアラブの春とどうやって帳尻を合わせられるのか、私はわからない。Robert氏は、街頭で抗議している不法移民についても同様のコメントをしている。彼は、そういった人たちがインターネットにアクセスする手段を持っているなどと考えていないのだ。だから、不法移民がGoogle+を利用できるようにするなんて気にかけなくていい、と。(ヒント、”地元の図書館”)。Google+の、彼のコメントに返事をする形で「君は間違っている」と証明するのが大好きだという、不当な差別を受ける何百という人たちを私は知っている…悲しいことに、そういう人たちは本名でもってやろうとはしないのだ。*58

    ハンドルネームを使うことは女性にとって更に悪くなることだ。

    +Robert Scoble氏曰く、

    “面白いことに、匿名を擁護する人たちは匿名が糞〔crap〕を持ち込むことを、特に反女性主義的コメントを話そうしない。”

    奇妙なことに、私が見てきた、ハンドルネームにつき議論する人の大多数は女性である。そして、私が見てきた、このようにコメントをする人の大多数は男性である。実のところ、我々は匿名が”糞”を持ち込む可能性について話しているし、一方で妥協点についても考慮している。こう話すのは、自分のハンドルネームを諦め、銃を持って自分の玄関に現れてもらうより、嫌がらせする数人のハンドルネームどもをブロックせねばならない、と勇ましく語る+Gretchen S.女史である。それは女性に対する仮説的問題ではない。私には、自分の本名を使うことで危難を経験した女性の友人がいる。その女性は自分のファーストネームをオンラインで使うという過ちを犯した。その名は幾分か珍しすぎたのだ。誰かが彼女を追跡し、彼女の地元まで3時間もかけ車でやってきて、玄関を叩き、セックスしようと口説いてきたのだ。彼女にとって幸運だったことは、家の中でボーイフレンドが寝ているのだと話を聞いてもらい、そして男が帰ったことだ。人は、裁判所が迷惑ごと〔harassment〕から女性を保護できるとよく言う ー だがレイプされたでは何の助けにもならないのだ。

    本名であれば迷惑ごとを阻止できる。

    +Robert Scoble氏曰く、

    “全員が本名を、本当のアイデンティティを使うよう強制されれば。いまだに嫌がらせをする連中が告訴されたなら、と考えないかね?あるいは、そいつらの上司がメールを送ってくれたらとか考えないかね?”

    私もそう思う。それどころか、本当のアイデンティティでは嫌がらせを阻止できないという証が私にはある。隣にいる女性やエスニック・マイノリティに、”実生活〔real life〕”で嫌がらせに遭ったか尋ねてみたらどうだね。あるのかい?見たところ、そういう人がいると知っている、ということは、彼らの暴言吐きを止めるに足りないということだ。告訴だって?本当かね?たとえ嫌がらせが不当であれ、たとえ自国の警察が捜査する価値があると考え、裁判にはかなりの時間がかかり、ましてや証拠を得るには捜索令状も召喚令状も必要だとしても?私のガールフレンドは、地下鉄で危機に追いやった男に対して訴訟を起こすべき?彼女にメールでペ*スの写真を送ってきた輩はどうだ?(Googleがまだ検閲していることを考え、単語を伏せる。*59)みんなが”悪い運転をしたら知らせてくれ”と自分の名前で電話番号を載せるなんて、すばらしい世界だ。だが、悲しいかな、多くの人は気にかけないだろうし、かなりの人が”異性を誘うため〔flirting〕”、”面白いから”、”遊びで”やっているだけと言うのだろう。あるいは”ユーモアのセンスがないの?”とも。裁判沙汰は論外だ。

    ファーストネームはそのまま、ラストネームがイニシャル。何が駄目なのか?

    まれに、あるサービスに登録すると、私に聞ききもしないで”名前を伏せるため〔anonymous〕”の組合わせだろうと考えた馬鹿がいたのか、何の知らせもなく私の名前を”Kee H”と放送する奴もいる。名前を伏せるものではない。たとえあなたの名前が”John S”であれ、位置情報や専門職、ひとりふたりの友達の名が付されていれば、十分あなたを見つけられる。Googleのポリシーに従ってハンドルネームを使わず、替わりにアカウントに本名のイニシャルを使った、結構な人から私は実際に警告された。ソーシャルグラフは指紋のようなものだ。それだけで、たった一つのコンピュータで、あなたを見つけ出すために、FacebookやTwitter、Google+のソーシャルグラフを相互に関連づけることができるのかもしれない。ファーストネームを付け加え、そして繰り返しGoogleで検索するだけでだ。Googleによるこのポリシーは、ユーザーを特に女性を危険に曝す。ハンドルネームを危険だと言う人も同じで、この一般的な代替手段について真面目に考えると良い。次の記事を参照してほしい。”女性名のチャット利用者に対する悪意あるメッセージは25倍もある〔Female-Name Chat Users Get 25 Times More Malicious Messages〕”http://www.physorg.com/news66401288.html

    匿名であることはソーシャルネットワークを作る意義を打破する。

    そのような言及は、あらゆるネットワークを作ることで、最後にはオフラインで人と会えるのだ、という思い込みに立脚している。そもそも、真実ではない。直接会ったことはないが、話したことのある人なら何百人もいる。結構なことだ。それに、やはり会ったことない人と、何万ドルにも値する仕事をやったことがある。また、ハンドルネームを使っては仕事もできなければ交流もできないとも思い込んでいるようだ。だが、それでも、事業においても社会的な状況においても、いつも商標〔DBAs〕を使っているではないか。結局、本名を相手に教えることは絶対にないと思い込んでいるのだ。私は、直に人と会う場合はいつも、本名を教えている。私は、その人たちがオフラインにおける関係を知っているかなんて、気にかけない。私はただ、検索エンジンに名を曝してほしくないだけだ。

    単なるドレスコードだ。

    これは、Googleが公然と使う比喩だ。ドレスアップなんだと。+Robert Scoble氏が発言の際に賛同して言うには、

    “あなたも私も本名を名乗っている。だから楽しい。”

    いいレストランに行くため、ドレスアップをするだけのことだ!だが、上着着用が求められているのか、私の住所や実家、子供たちや(少し掘り下げて)家計とすぐに繋がるような固有の識別名を、プロフィールを閲覧する全員に対して提示することが求められているのかでは大きな隔たりがある。この対比は明らかに不適切であり、オフラインでストーカーに遭い、嫌がらせを受け、虐待されたことのある人に対して無礼なことである。無論、実生活でもしているように、ただ我々の情報を抜粋して公開したいという人も同じである。 名前とはスーツの上着ではない。同性婚時、婚姻届にあなたの身分の隣に書くものであり、マリファナ合法化に関する陳述に続く、技術文書に付されるものであり、健康問題の隣にある経歴に書くものである。スーツの上着を着ることで、仕事が得られないなんてことはないが、本名を使うことではありえるのだ。もしレストランの比喩を強く主張するのであれば、このポリシーは下着だけで姿を見せよという要求に近づく。

    嫌がらせを受けているのであれば、法制度のみが現実的な解決方法である。

    このような言及が何度かされるのを見てきた。まず、アメリカ合衆国では当てはまるにしても、嫌がらせが起こっている世界の多くの地域では当てはまらない。特に女性に対しては、被害者に落ち度があると見なされる。ここは国際的な人との繋がりの場である。いい答えを見つけられないのなら、Sandra Curtis女史の話を読むと良い。

    “精神衛生の分野で45年間仕事をしてきて、10人以上の女性を個人的に知った。だが彼女らは今は’故人’だ。なぜなら、夫や前夫、彼氏や前の彼氏、父親や兄弟、配偶者の、前妻のあるいは彼女の、自分に魅了されているのだと決めつける大抵精神的な障碍のある人、などなど…接近禁止命令が出ているのにも関わらず、彼女らを追いかけ、殺したのである。このようなストーカーは、刑務所にいようが結果として自身が自殺しようがお構いなしなのだ。

    接近禁止命令は、私が人生で見てきた最も意味のない紙のひとつだ!

    私は裁判所で証言台に立った – 裁判官に’懇願した’。”この男は彼女を殺すと、自分に対して何をされても気にはしないと、そう言った。彼女には自分しかいないのだと。”

    裁判官は男に対して告げた。”彼女から離れよ、という請求を棄却する。”次の日、男の妻は浄化槽の中で発見された。

    彼が良心的に生活できるのだと、どう判断したのか。私はわからない。

    そして、その男は10年後に州立病院を退院する。当時は、もちろん、精神障碍があったから(そりゃあそうだ..)で、今となっては正常だからだ(そうなんでしょう..)。

    彼が退院したら、今度は誰の後を追うんだろうね、みなさん???

    お願いだ。私は3回も引っ越し、ついには名前も変えた。もう一度言う。あなたはその場にいたことがあるのか?あなたの助言は、たいてい意味を持たないのだ。私たちは人形ではないのだ。安全のためにあらゆることをしてきたのだ。

    Googleの広告主がハンドルネームを好まないのだろう。

    +Shava Nerad女史がこの点について雄弁している:https://plus.google.com/u/0/101371184407256956306/posts/3dTbYXi4oER。簡潔に言うと、マーケティングの点において、そして、私がハンドルネームを使って議論しているものと本名で議論しているものとで、違う焦点を持つ傾向があるという話だ。この違いが、広告主がより私を標的にしやすくするという。だが、これは、広告主が同じ人間について、家から注文したか事務所から注文したかを、どうやって別々に扱うかということに何ら違いがない。

    ハンドルネームの代替とは何か?

    Googleのサークルを使え

    1. サークルは、あるものに興味のある友人との繋がりを既に築いている場合であれば、便利なものだ。

    2. サークルは、あなたの交流相手に何ら保護を与えない。交流相手は、あなたがどんなサークルに入れているのか、誰が自分の名前を知ってほしくないのか、などということを知らない。たとえGoogleが、サークルメンバーに対してハンドルネームを名乗れるようにしても、返信に自分のハンドルネームを使いたいという人には何の意味もない。

    3. サークルは、自分の個人情報を預けいない人と話すにつき、何の保護もしない。

    4. サークルは、公のやりとりではない。公の言論に適う問題は非常に多くある。だが、Googleのサークルはこの点何の役にも立たない。

    私が実感するのは、サークルは多くの人々にとって混乱の原因となっていることだ。Google+では、サークルは”全員に対して返信”するものなのだ。メッセージを受け取る際に、誰がサークルに入っているのか知らない。つまり、誰に返信しているのかわからないということだ。サークルにはどれだけの人がいるのかも知らないのである。従って、仲のいい友人から”おはよう!”というメッセージを受けて、”やあ!昨夜は居酒屋から彼を連れて帰ったのかい?”と誰かに返信するとき、”おはよう!”というメッセージが全員に向けたものであったと分かったら、嬉しくない状況になるだろう。これが”Joeの友人”だとか”Joeのサークル全員”だとか言うに値しない、任意の21人のリストであってもだ。誤解は(そして不誠実な行為であったと)広まるだろう。

    つまり、サークルは、特に大きなものは、相手に対して本当のプライバシーを提供しないだけでなく、プライベートでありたい情報を曝してしまうことになりかねないものなのである。

    複数のニックネーム欄

    Googleはこれを推奨している。Google曰く、検索でサポートされるのだという(もしかすると+と入力するのだろうか?)。同じサークル内で違う名、特にニックネームを普段使っている人にとってはいいことだ。だが、違う名でサークルを分けている人や、誰々が自分のアイデンティティにアクセスできるかを決めたいと思う人にとっては役に立たない。

    本名で登録しなければならないが、Googleはハンドルネームだけを表示させる。

    これには将来性がある。実際、3週間前に唱えられていれば、私は賛同していただろう。しかし、この情報に付きGoogleを信用しないという多くの友人が現在いることを、知ってしまった。この失態*60によって、甘く見られるはずのないGoogleのプライバシーにおけるイメージに、打撃を与えることとなった。

    1. 何が”本当の”名を提供するのか?ハンドルネームに対するあらゆる言及は、フォーラムにいる他の人に対して責任のない人々に向けられている*61。Googleがただ”本当の”名を知りたいだけであれば、これでは問題は解決しない。*62

    2. 登録時、あるいはある時点で、本名が認証されるのか?もしそうであれば、これは活動家や、プライバシーにとりわけ懸念を抱く人に対して無用のものとなる。ハンドルネームは安全ではないから、Googleはその使用を提供すべきでないと多くの人は言う。私は、何故、使うのをやめないのか、そしてそれが真実であることを説明した。だが、この解決方法は*63ただ少しばかりの安全を提供するにすぎない。誰かが私の関係を詮索したり、コンピュータにキーロガーを仕掛けたり、パスワードを取得したり、そうなった場合には、私のプロフィールにある本名を見られるだろう。このようなポリシーは余裕のあまりない人にとって非常に危険なものとなる。

    3. 結局、認証に必要な”本当の”名を隠すにしても、やはりサービスを使わない人は多くいる。特に、おびえ、攻撃されやすい人にとっては。

    ハンドルネームのアカウントであるという印を付けよ

    これはもちろん、見分けられることが前提だ。だが、どう考えても、念を入れてハンドルネームを使う我々のような人には応じるだけの選択肢ではない。珍しい名を名乗る人は、自分の名の照合を強いられ、Googleはそこから来る苦情を元に珍しい名をホワイトリストにいれなければならない。(私はGoogleに対して出し惜しみはしない。このポリシーの結果として、サポートに費用がかかろうと。)私のこの件に関する心配は、もうひとつのユーザー像ができるのではないかということにある。Googleが自動的にハンドルネームをブロックする手段を与えないにしても、誰かがブロックするためのChrome拡張を作るだろうということだ。これによって、あらゆるユーザーが、一心に自分のプライバシーを守りたいと思い、行く行くは公のやり取りに参加しても誰からも返信がこない、などという見るに耐えない状況になるのではないかと思うのだ。*64*65実生活でもインターネットでも、自分の言葉や行動で判断されるべきだ。このような解決方法では、そういった機会が奪われてしまう。

    印をつけるのは良いと思う場合もある。アカウントを人に認証してもらうというものだ。この人は現実にいると言われた人に付けるのだ。Twitterでやっていることだが*66、Google+でもできるだろう。もちろん、ブログやFlickrやTwitterのアカウントがあるハンドルネームの人が現実に存在することを、認証できるようにすべきではない等という理由はまったくない。これは役立つ機能の一つなのだ。

    結語

    仮名(ハンドルネーム): 仮名のおかげで人々はネット上で自由に自己表現を行うことができるようになったことからもわかる通り、仮名はインターネットの大きな利点の 1 つです。仮名を使う人は、物理的に危険な状態にあるのかもしれませんし、何かの助けを求めているのかもしれません。また、自分について知られたくない状況にある場合もあるでしょう。そんな事情がある場合、一貫したアイデンティティをもつことは必要かもしれませんが、オフラインの本人とは結びつかないものである必要があるでしょう。

    Google自身のポリシーブログより引用した*67。一体、どうしてソーシャルネットワークにはハンドルネームが有効でないとGoogleは考えたのか、という疑問が出てくる。

    この議論には大きな皮肉がある。ハンドルネームを使い続けることは自分が誰であるかを隠す手段ではない。自分自身であることを示すための手段である。ようやく、あなたが”本当に”信じていること、本当の政治、本当の問題、本当の性、本当の家族、本当の自分、といったことについて話せるのだ。”本名”に対する支持の多くは、論議を聞きたがらない人々によるものであるが、論議はハンドルネームの使用におけるごく一部にすぎないものだ。インターネットを利用する我々全員にとって重要な問題、そのことについてただ、率直に話ができるようにあってほしいと我々の多くは思っているのだ。我々の出生ではなく、性ではなく、誰に従事しているかでもなく、発言内容によって判断されたいのである。

    ハンドルネームの使用はコンピュータ時代において目新しいことではない。作家はいつだって使ってる。我々の建国者たちも使っていた。匿名およびハンドルネームの言論〔speech〕は、建国以来民主的社会の一部であった。目新しいものは何かといえば、会ったことも話したこともない見知らぬ人が、ますます我々の名を知ることである。目新しいものは何かといえば、情報の断片(誕生日、友人の名、雇用者、企業、町…)を含む名で、誰であるか、どこに住んでいるか、という個人の詳細を数秒で得られるということである。*68

    私のGoogle+の、他のアカウントには、サークルに100人以上の人がいる。その人の大半は、TwitterからGoogle+に移った人たちだ。何故ならば、私やその人たちはGoogle+のよさに称賛したからだ。どの人も、あらゆるサービスを超えて、自分のアイデンティティが傷つかず、矛盾せずにいられるものであると強く信じている。何を共有し何を共有しないかを決められるものであると強く信じている。上司や家族、近所の人に知られている名前から離れ、個人的な生き方でありたいと思っている。何故彼らにはこのような議論がないのか?*69その理由は、Google+では本名のようなアカウントで登録しているか、あるいはあえて本名で登録しているか、だろう。Twitterに戻れば、私のフォロワーの半数がハンドルネームを使っていると簡単に分かる上、大半の人がどうやってハンドルネームであるかを判断するかのか見守っている。テクノロジーや政治、子供や家族、性、そして、インターネットで我々が語るあらゆることについて議論できる、よい場所を持ちたいのだ。しかし、Googleのポリシーに従って、馬鹿正直に曝け出すというリスクを負いたくはない。これが、私がなぜ意見を申し上げているのかという理由である。私は意見を言うだけの余裕がある、しかし彼らにはないのだ。

    私はこの疑問を提示したい。もし私のハンドルネームでこの記事を投稿したらどうなったかであろうか?何故差異があるのであろうか?私は同じ言葉を書き綴っただろうが、皮肉にも、このアカウントでする勇気のない、より多くの個人的で説得力のあるものを追記しているだろう。本名でもって投稿したのは、もし私が自分自身についてのことを少しでも共有しなければ、私の言及が弱くなってしまうに違いないと思ったからだ。”Kee Hinckley”に今まで会ったことがあるかね?他の名で私に会ったことがあるかね?どうでもよくないか?インターネットには本当〔real〕なんて存在しない。知っていることは私の発言だけだ。Googleで私を検索できる。それでも私の発言を知るだけだ。ある現実にいる人間がこの記事を書いた。どちらの名でも投稿することはできた。だがその内一つは投稿できない。そんなことに本当に意味はあるのか?

    すべてのハンドルネームには、現実〔real〕に人間がいる。ハンドルネームを否定することは、その人間を否定することである。

    記事中における参照としていくつかリンクを添える。
    +Sai .氏のこの件に関する良記事はこちら。 https://plus.google.com/103112149634414554669/posts/WAu688n8JgZ
    実名ポリシーで誰が傷つくのか http://geekfeminism.wikia.com/wiki/Who_is_harmed_by_a_%22Real_Names%22_policy%3F
    潜在的従業員の悪い噂を集める事務所 http://www.itp.net/mobile/585562-internet-firm-digs-up-dirt-on-potential-employees
    +Violet Blue氏による最近の投稿
    数多くの人々が、この議論の双方の側から参加して頂いたこと、また当記事の作成編集に協力して頂いたことに感謝する。我々の議論を見ずとも、Google+の将来について、またインターネットにおける言論について情熱を持っているという共通点を我々は持っているのだ。

    1. 『抑圧された人々はインターネットにアクセスする手段がない。』のセクション []
    2. pseudonymをどう訳出するか。原意は古代ギリシア語でいう”偽りの名”から来ているのだそうだ。だが、偽名は「偽ること」に主軸があり、仮名は「仮に付けた名」で客観的なものであり恒久的な名ではない。それに対しハンドルネームが本名以外の名であることに着目すれば好意的に受け入れられる。pseudonym自体にはこれらの語が含まれているが、この記事中では名乗るための名であることとAnonymに対する語であることから、やはりハンドルネームが適切である。 []
    3. なお、変名というものもある。変名とは名を隠すための別の名のことであるから、原文におけるpseudonymの意味に近づく。だが、原文が意味するpseudonymとは本名を表さずに何らかの意見表明をするための名としてだけではなく、本名を既に公にしていても従来名乗った名を使わねば他の人と繋がることができないという意味でも使われている。そういった意味で、筆名も変名も偏りがあり、Webにおいて表明する名という意味のハンドルネームが適切である。 []
    4. +はGoogle+におけるmentionである。 []
    5. SF小説『Ender’s Game』の登場人物がインターネット上で使用したハンドルネーム、”Demosthenes”を引き出して、一般的な偽名である”John Smith”と対比させている。この文は、現実に存在する人間”John Smith”が”Demosthenes”というハンドルネームを用いた人物と同一であり、名前に関係なく特定個人を調べることはできるということを意味している。 []
    6. この文は「ユーザーは、”John Smith”という本名にせよ”Demosthenes”というハンドルネームにせよ、どの名前に対しても自分自身に関する情報を付与していない」ということを表している。 []
    7. この文は、Google+に登録する際の話であろう。 []
    8. 人との繋がり、相関関係のこと。 []
    9. Twitterに話が及んでいることから、”the attempted revolution”は2009年のイラン大統領選挙のこと。 []
    10. 原文ではmy closed circlesとなっているが、circleがGoogle+のそれを意味するかは不明。文章の後半ではCirclesと記していることから、使い分けていると思われるが。 []
    11. 参考:BDSM – Wikipedia []
    12. ここで挙っている例は実例ではない。文意からしてそうだが、次の節が”real-life examples”であることからも伺える。 []
    13. 原文は〔teachers who want to be able to go shred on the weekend〕。wiktionaryによればshredにはギターの速弾きという意味があるとのこと。 []
    14. 原文ではDAとなっているが、おそらくDistrict Attorneyの略だろう。 []
    15. なぜテキサスなのか。すこし調べてみたところ、テキサスではアニメ関連イベントが多数催されていることが分かった。また、同性愛を巡る政治的な動きが何度も起こっているようで、昨年2010年にも共和党による禁止の動きがあったようだ。 []
    16. 薬物依存者の自助組織である。 []
    17. ここで触れられている意味は、次の通りである。すなわち、配偶者から虐待を受けているのだが、もしそれを告白すれば何をされるか分からない、だから嘘をつき、今の状態を維持することで問題を悪化させない、ということである。リンク先の1と4が、本文の元になったのであろう。 []
    18. 日本語で表現すれば、「被害者非難」であるとか「やられた方が悪い」とかが妥当する。 []
    19. アメリカ南部は保守層が多いことから。 []
    20. 参考:Kink_(sexual) – Wikipedia。変態としても意味は通るだろうが、意味内容を反映することにした。 []
    21. なぜ中西部なのかは知らない。 []
    22. ミャンマー(訳文中ではビルマとした)におけるHIV/AIDS患者が非常に多いことから。 []
    23. ここではjerks(嫌な奴)という語が使われているので、反ハンドルネーム派からみたハンドルネーム許容派またはハンドルネーム使用者を指しているのではないかと思う。 []
    24. 著名人のアカウントの認証プログラムのことだろう。 []
    25. 原文は〔A person with a persistent pseudonym lives and dies on one thing; reputation.〕となっている。後の文を読んでも分かるように、ハンドルネームでなされた発言そのものの評価を強調しているので、ここでは”生死を左右される”という訳出にした。 []
    26. 原文は〔in a forum where being blocked is a mouse click away.〕 []
    27. 原文は〔the comparisons are almost always apples and oranges〕 []
    28. 原文では〔comment forum〕となっている。 []
    29. ここにおける”John Smith”は、本名”John Smith”はハンドルネームの私より有利になるのではないか?という対照として用いられている。 []
    30. being femaleやbeing a womanなどの語は、トランスジェンダーを意味していることから、”女性であること”と訳出している。 []
    31. 原文では大文字でCAN beとなっているので、あえてこのようにした。 []
    32. アラブの春に参加する人々 []
    33. 同性愛者であることを聞いてはならない、同性愛者であることを言ってはならないという意味であり政策でもある。 []
    34. 参考:ワエル・ゴニム – Wikipedia エジプトで行方不明になったGoogle社員。 []
    35. 参考:ハーリド・サイード事件 ハーリド・サイード氏は2010年6月、アレクサンドリアで警官により撲殺された被害者である。”We Are All Khaled Said”は彼を追悼するためのページであった。 []
    36. シャーベット状の飲料品のことだそうだが、slurpeeは商標で一般的にはスムージーというそうな。 []
    37. この文はWebの話ではないので変名とした。 []
    38. このAAが何の略称かはわからないので、そのままとした。 []
    39. 参考:ザ・フィデラリスト – Wikipedia []
    40. この記事の著者。 []
    41. 原文は、〔And if my pseudonym were “John Smith” then they’d be right, but it’s not.〕 []
    42. 原文は〔Because when you come down to it, that’s what a “real” name is online now—it’s a key to everything about you that you’d really rather people didn’t know.〕 []
    43. これは実話である。なお、この従業員はgoogle.orgの部門で働いているようだ。 []
    44. 著者の本名のこと。 []
    45. 参考:http://thebloggess.com/ なお、The Bloggessという名でFacebookアカウントを持っている。 []
    46. Vic Gundotra氏のこと。ZDNetでは、本名はVicではなくVivekであると指摘している。なお、Googleにおける役職は技術部門担当上級副社長だそうだ。 []
    47. 参考:インド人の名前 – Wikipedia []
    48. 参考として、インドネシアについて.2の「普段の呼び方ですが、〜」から。 []
    49. 訳文は、原文に当たる日本語ヘルプから引用した。 []
    50. 原文は〔if they want to play this game〕 []
    51. Security through obscurityとも。情報を隠すことで危害を防ぐという考え。 []
    52. ここにおける彼とはViolet Blue氏を指すのだが、現在は女性として生活している。原文では男性として登場させているので氏を名の後ろにつけた。 []
    53. なお、授業で同級生に話したとViolet Blue氏はGoogle+に書いているのだが、原文の〔a class〕をそのまま意訳することなく訳出した。 []
    54. usedであるから「慣れるな」とも訳出できるが、文意からしてそうではないだろう。 []
    55. 原文は〔by name is Thomas〕。 []
    56. (重大なことを言うのは)に続いての語。この語そのものは前題を受けたものだろう。 []
    57. 原文はたしかに〔Green Revolution〕となっているが、この語は”緑の革命”ではなく2009年の大統領選挙に起こる抗議運動のことである。参考:2009–2010 Iranian election protests []
    58. 著者はアクセス手段があるという立場、Robert氏はアクセス手段がないという立場。ここでは、そういった地域の存在を考慮に入れるかどうかの議論について触れている。 []
    59. 原文では〔c*ck shot〕となっていた。これはcockshotのことであり、男性の陰部を写した写真を意味する。 []
    60. Googleが実名ポリシーに準ずるものを採用した、ということ。 []
    61. ハンドルネームに対する非難の矛先が、何の悪さもしない人たちにも向けられているということ。 []
    62. ハンドルネームを一緒くたにしてしまうのであれば、Googleを信用する人は誰もいないということから。 []
    63. 主語にあたるthisが題にかかるものだと判断した。すなわち、登録に本名を用い表示にはハンドルネームという解決は、誰かがアカウントに侵入してしまうと安全ではなくなるということをここでは言いたいのである、と。 []
    64. 原文は〔So a whole class of users, whose only sin is wishing to protect their privacy, will be joining in public conversation and wondering why nobody responds to them; go to the back of the bus.〕 []
    65. ところで、〔go to the back of the bus〕はどういう意味か?goの主語がthem、つまりconversationだと考え、またthe back of the busはそのままバスの後部座席のことを意味するのだと考えた。著者がアメリカにいることを考慮し”黒人はバスの後ろ側に座る”という差別的な意味合いを汲み取れば、「やりとりが悪い方向に行く」と訳出できる。この語を使った理由はおそらく、この解決手段の帰結を皮肉しているのではないかと思う。 []
    66. Twitterの認証済みアカウントは、決して有名人に限定されるものではない。 []
    67. なお、引用文の訳文はGoogle Developer Relations Japan Blogに掲載されている翻訳文をそのまま利用している。 []
    68. 「Webで、検索で、瞬時に分かるようになった」ということ。 []
    69. ここの彼らは、反ハンドルネームの人たちやGoogleを指す。 []
amatanoyo
Sekai Amataです。漢字では数多世界となります。あまたのよと名乗ることもあります。