まえがき。
前篇・上では(仮)時代について事細かに解説しましたが、今回のエントリーは(β)から(γ)までの解説を時間を追って書いていきます。
前篇でもそうでしたが、一連のエントリーは予備知識がたくさん盛り込まれることと今まであったニコニコ関連記事を総括していることが重なっているので、煩雑になっています。無論仕様です。突っ込みは早い段階から入れてください。でないと、次に書くエントリーに影響が及びませんので。
ちなみに何で中篇前篇が上・下に分かれているのかと言うと、、、
「前・中・後でまとめるぞー!」「前篇は終わった、次は中だ!」「あ、あれ?中篇長すぎね?え、なに、幕がいるの?!」という都合のため、長編が決定いたしました(鬱)。
前篇のあらすじ。
運営の目論見通り、2ちゃんねらーによって環境が整ったニコニコ動画(仮)は(β)に移行し一般のWebサービスとして出発する。しかし(β)はニコニコ動画史上波乱に満ちたものになってしまうのであった。
脱2ちゃんねるを図るニコニコ動画。
ニコニコ動画がニワンゴによるサービスであるというニュースが流れる。
これによって「ニコニコ動画は2ちゃんねるの一部ではない」という認識が広まり、非2ちゃんねらーの関心を集めることができた。そして2006年はWeb2.0バブルであったために、流行りもの好きな人たちには格好の的となったであろう。*1
しかし、これらは大した宣伝ではなかった。いや、なるはずだったのだ。
それは、またしても2ちゃんねるからであった。
2007年1月12日、あるニュースがインターネットを席巻する。「2ch.netドメイン差し押さえ」による2ch閉鎖騒動である*2。この騒動は2ちゃんねるだけに及ばず、数多くのネットユーザーの関心を集めることとなった。*3
そして当日の夜、ひろゆきは自身のブログに次のような記事を投稿する。
やばい。やばい。
#当時の様子はInternet Archiveに残っている。また動画はニコニコ動画(仮)のものであったが、都合上元動画であるYouTubeのものを貼った。
ひろゆきは、騒動の当事者でありながらも、それをだしにネタとしてニコニコ動画に披露したのだ。これはまだ(β)が始まる3日前のことで、ここで一気にユーザーを獲得した。おそらく大半の人は「閉鎖騒動の時にひろゆきのブログを見たら、ニコニコ動画のリンクがあって―」と言うだろう。
いいかげんに、きちんと宣伝をして勝負をかけようと思っていたときに2ちゃんねるの差し押さえ騒動が発生します。
そして便乗しようと、おもちゃのクルマが差し押さえられた動画をひろゆきがアップするとものすごいアクセスでyoutubeのデイリーランキングで全世界2位となりました。 youtubeのコメント欄には米国のyoutubeユーザがなんでこんなくそつまんない動画が2位なんだと文句がいっぱい書いてあります。ニコニコ動画が世間を騒がした最初の出来事でした。
更に、「便乗した方が面白いなぁ」と思ったひろゆきは緊急インタビューを1月17日にニコニコ動画に掲載した。
#この時の動画はAmeba Visionに掲載されている。 >http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=118155
#動画そのものはニワンゴで携帯電話向けに配信されていた。 >http://niwango.jp/mobile/event/hiroyuki/interview.php
#運営上の理由で2007年10月1日のメンテナンス以降、Ameba Visionはニコニコ動画に投稿できなくなり既存の動画は運営者が視聴を停止したといういわゆる削除動画が表示されるようになったが、コメントやタグなどは未だに機能している。
反応するメディア、成功するニコニコ動画。*4
コメント数は1月17日で20万件になり翌日30万件を達成、23日には100万件を突破し30日には380万件、2月1日は500万件を超えて1週間後にはその2倍の1000万件にも膨れ上がっている(注意;PDF)。*5
- 「面白くないものが面白くなる」 ひろゆき氏が語る「ニコニコ動画」の価値 - ITmedia
- 「新しい価値を作った」ニコニコ動画(β)監修の西村博之氏インタビュー - Internet Watch
- 「ニワンゴのiアプリで2ちゃんねるの実況板をリアルタイムで携帯電話にも流すサービスをしていた」とは、Balloo! Mobileのこと。
- 超Web2.0的動画サービス「ニコニコ動画(β)」月間1億PVの快進撃- MarkeZine
- ニワンゴ、再生中の動画にコメントを付けられる“ニコニコ動画(β)”のベータテストを開始 - ASCII24
#削除動画でおなじみのfooさんは(β)開始と同時に始まったことになっている。(仮)時代にも一つだけあった。>http://blog.nicovideo.jp/2007/01/post_43.php
#ユーザーは元の動画がなくなった怒りを忘れ、落胆を微笑みに変えて、むしろfoo さんの演奏を聞くために、削除された動画を何度も再生するほどです。(注意;PDF)
#現在弾幕と呼ばれるコメント多重投稿は、1月17日に確認されている。 >新しい動画のカタチ −ニコニコ動画(仮)− - 404 error BLOG
2ちゃんねらーと非2ちゃんねらー。
2ちゃんねる文化の伝播。
こうしてニコニコ動画(β)は、ニワンゴによる"まともな"宣伝を経ずに一挙に大勢のユーザーを獲得した。しかし、(仮)時代からニコニコ動画は2ちゃんねらーの植民地であった(前篇・上、参照)。そのために一般ユーザーは次のことが要求されていた。
- ネタや用語を知る必要がある。
- 荒らしや誹謗中傷に対する覚悟や耐性が必要となる。
- 匿名である。
しかしこれらはすんなりと受け入れられる。その理由は次のようなものが考えられよう。
- きちんとした評価がなされていたこと。
- サービスが感性的であったこと。
- 同化しやすい環境であったこと。
(仮)から(β)にかけて、ネタや用語はそれほど多くはなかった。コメントが流動的であったために長文は書いても読めない。むしろ的確なコメントが好まれた*6。動画はYouTubeにあるものに限定されるのでネタ自体も限られる。いくら2ちゃんねらーに最適化していたとはいえ、環境そのものは誰もが初心者でいられる状態であった。
その点で直感的に扱いやすく、またコメントの対象となるのは動画であるから見なければ評価ができない。安易に馬鹿にすることができない*7。更に、匿名という無人格*8な世界に立たされるのであるから、他人を殊更気遣う必要がなく同化しやすくなる。
備考。
当時(RC以前)はコメントやコマンド以外にも名前を書き込むことができた。しかし、2ちゃんねる文化という下地もあってか名前を入力する人はほとんどおらず、またいたとしても荒らしのときに使われるくらいであった。
余談だが、私は名前付きで書き込んでいた人を一人だけ見たことがある。目撃した動画はVIPマリオで,、「これはチートだ」とかやたら批判的な内容が多かった。時には色を変えフォントサイズを変え、新しいものが投稿されるたびに姿を現したものであった。しかしもう、名前は覚えていない。ちなみに(γ)の頃の話である。
今日の水色コメントはそういった批判的なコメント群の象徴的な名残であると言っていい。現在水色コメントはそういった経緯から批判・中傷・皮肉といったコメントの代表として書き込まれ、現在ではネタとして親しまれている。
コメント分析については以下のエントリーが詳しい。
#たまに見かける弁明とは、コメントを投稿する側の固定ハンドルネームであり名前入力が可能であった頃のものである。
##ニコニコ大百科
#"歌ってみた"などで使われるハンドルネームは、名前欄廃止後のものである。
(β)の最期と産声を上げた(γ)。
YuTubeからのアクセス拒否とDDoS攻撃。
2007年2月23日、3日前から受けていたDDoS攻撃の影響がドワンゴのモバイルサイトにも出たためサービスを一時停止したが、同時期にYouTubeからもアクセス拒否されてしまう。*10
このころ、たくさんのユーザーを抱えていたニコニコ動画は、それまでは運営者ブログのコメント欄で要望・苦情を受け付けていたが、2月24日から掲示板を導入することになった。*11以降、ブログのコメント欄を廃止している。
- ニコニコ動画、ベータサービスを終了--YouTubeからのアクセス遮断で - CNET Japan
- ニコニコ動画のβサービスが終了――新バージョンは一週間後を目標にリリース - ASCII.jp
- ニコニコ動画(β)がサービス終了、真相を担当者に聞く - ASCII.jp
- ニコニコ動画がいったん終了 「YouTubeがアクセス一部遮断」 - ITmedia
- YouTube利用中止も検討 ニコニコ動画、再開は1週間後めど
- ニコニコ動画、YouTubeなしで復活 動画サイト自前で構築
なお、(β)終了についての考察は以下が詳しい。
余談・ビジネス化していたニコニコ動画。
2月17日にアメーバの投稿者ランキングのポイントをキャッシュバックしたことが、おそらく一番最初に公開されたもの。3月13日には4倍になっている。
水面下での取り組み。
運営は(γ)の発表を即座に行った。アカウント制で、しかも初回は10万人のみが利用できるクローズドなものであった。アカウントの発行は2007年3月3日より開始し、翌日で10万人を突破した。このとき、ニコニコを見続けるためにアカウントをとろうとした人は結構いるだろうが、中には「いづれは(β)のようにアカウントの有る無しにかかわらず見れるようになるだろう」と楽観視してとらなかった人もいるだろう。まぁ、あとになって涙目なわけだが。
ちなみに、アカウントに関してどうでもいいことを書いておく。ドワンゴが2ちゃんねるで人材募集をしていたのをご存じだろうか?
実は、この時にアカウント(しかも100番台前後の若いID)が配布されたらしいのだが、本当にどうでもいいことだなぁ。
静かに始まった(γ)。
何せ10万人にしか入場許可が下りていないのだ。サーバはさほど重くならないし、人が少ないからコメントも少なくむしろ適量であったくらいだ。*12
数量的に少ないこと、アカウント制になって外部から遮断されていたこと。この2つがそろった(γ)では何が起こったのか。(γ)がそれ以降のニコニコ動画の基礎になったことを書いていこう。
#(γ)のTOPページ。あっさりしていたし、「やる気のなさ」がまだ残っていた。
ニコニコ動画ユーザー、誕生。
(仮)は2ちゃんねらーの一部、植民地であった。
(β)は2ちゃんねると非2ちゃんねるの混交であった。
2ちゃんねらーによって(仮)が築かれて、2ちゃんねらーと非2ちゃんねらーの混交と融和によって(β)が成り立った。だがしかし、"ニコニコ動画ユーザー"と呼ばれる存在はなかった、存在しなかった。
(γ)は、クローズドという環境の所以に利用しているユーザーは、2ちゃんねらーであれ非2ちゃんねらーであれニコニコ動画の中にいるユーザーなのであるから、必然的に"ニコニコ動画ユーザー"と形容されるのである。
ここで初めて、"ニコニコ動画ユーザー"という主体的存在が誕生したのだ。
(中編・上)(前篇・下)について、そして次回予告。
(中編・上)(前篇・下)は(β)から(γ)までの話を中心とする、前篇・上の副題"ニコ動ユーザーのルーツ"についての補完でありました。
大体わかっていただけたと思いますが、2ちゃんねらー≒ニコ動ユーザーはニコニコ動画の歴史的に肯定されます。んで、非2ちゃんねらーに受け入れられたのは、ニコニコ動画が2ちゃんねるの面白いところを抽出して作られたからっていうのがありますね(前篇・上、参照)。*13
ユーザーの話はいったん終わりです。(γ)から(RC2)までの時代はユーザー解析が今までよりも簡単ですから、(中編・上)中篇からはニコニコ動画で流行ったものを中心に書いていきます。これは今までのニコニコ動画の考察でもよく見られた内容になると思いますが、一連のエントリーはユーザーを主体とするものですので、異色なものにしていこうと思っています。
で、中編・下中篇の後は"幕"ですね。本当は書きたくなかったのですが、書かないといけなくなったっぽい*14補完として書いていこうと思っています。また、後篇は数多が最も書きたいエントリーなんですけど、当分先になりそうです。
予備知識が必要以上に必要となるエントリー群になりますが、涙目でやっていきますよ。 続く。
*1:ちなみに、ニコニコ動画はWeb2.0には否定的であっても自身を超Web2.0と呼称している。
*2:私は2001年8月に起った騒動と区別するため、1月閉鎖騒動と呼んでいる
*3:アクセスが多すぎたせいか、ニコニコ動画のサーバが重くなった。 >http://blog.nicovideo.jp/2007/01/post_45.php
*4:ニュース記事へのリンクを貼ることで割愛する。
*5:当時はコメント数が増えるたびに、記念としてケーキを食べていたようだ。#Ameba Vision >http://blog.nicovideo.jp/2007/02/1000.php
*6:「うはwww」みたいな草と呼ばれるコメントは人が増え始めてから主流となった。
*7:2ちゃんねるみたく、特定単語に反応して書き込むことができない
*8:この言葉についての詳細は後篇で書くことにしている。
*9:日常会話で話されるものではなく、ブログや掲示板にURLが貼られていく様のこと。
*10:当時の運営者ブログ >http://blog.nicovideo.jp/2007/02/post_25.php
*11:当時の運営の様子(画像) >http://blog.nicovideo.jp/2007/02/post_24.php
*12:正直、あのままでもよかった。そんな私はIDが1万台(ふふん)。
*13:もっと細かいことを知りたい人は[http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20071212/1197437376:title=ニコニコ動画が言い続けた「アンチ集合知」とは何だったのか - Attribute=51]を読んでくださいな。
*14:はてなユーザーとか当事者である人たちは、よくわかっていないようなので。