はたして諸君らはこの政争に何を思うか。

詰まる所、私が"小泉劇場"で語りたかったことは、小泉純一郎という人間が一国の宰相になった時点でそれ以降の政治的動乱は既に決せられたものである、ということであった。
何故そのような極論を抱けるのかといえば、妄想の域を出ないのだが、やはり今回のことも「想定の範囲内」であると考えるべきなのだ。
福田康夫という人間が宰相になったところで、何が得られるというのだ。彼は所詮は穴埋めにすぎないのだということを、諸君は心に留めておく必要がある。


麻生という駒は非常に有能だが、今の状況において最も危ういものである。
彼はその人柄において国民に好かれること間違いないが(今回の総裁選挙がそれを表している)、それを買いかぶりすぎると安倍の二の舞になることには違いない。ここで福田という駒が少しでも足しになれば、と思えば福田が推されるのも無理はない。麻生側に不利な状況が続いているようだが、むしろこれは麻生を後押しする背景にもなる。なぜならば、次の総裁が目にするのは政界の驚天動地であるからだ。その中で、どんなに優れた政治家が果敢に進もうと、どんなにずる賢い政治屋が忍ぼうと、天地が狂ってしまえば皆皆転げ落ちるには違いないのだ。
国民の皆様はそのさまを見て、一様に「情けない」と言い、その時点で悲劇を渡り歩いてきた麻生の姿を見ればおそらく"神々しさ"を感じるであろう。救世主とはこのことであった!


諸君、政界は見えざる力によって道化と化している。だが諸君、その道化は決して我々に対して笑っているのではない。彼は我々を笑わせるための存在にすぎないのだ。


さて、ここで私が予言するに、福田は持って一年であるだろう。それは就任後すぐに彼は受難の日々を送るであろうことから推測できる。
その間麻生は悲劇の王として神々しさを増していくだろう。数年前の小泉を支持する諸君らがよみがえったかのように。
今の政界は先が見え透いて"詰まらない"と一蹴できるほどの道楽である。悲観する必要はない。我々が望む明日は、実は諸君らの背後まで迫っているのだから。